momentary
Kyoko Satoh and her LITTLE Orchestra


【大谷能生氏によるライナーノーツ】

ジャズにはもう100年の歴史がある。港町の路上でダンスと共に吹き鳴らされていたブラスバンド・ミュージックが、ミシシッピ川を遡って都会の潜り酒場に入り込み、アレンジとアンサンブルをゲットしてアメリカのメジャー舞台に上がって、第二次大戦中に生まれたビバップとともに急進的な芸術性を身に付け、ポップスとアート、メジャーとマイナー、ダンシングとシンキングに引き裂かれながら、この音楽は二〇世紀という複雑な時代を体現し、生き抜いてきた。
不屈の個性派ばかり揃ったジャズメンたちが、この一世紀のあいだに蓄えてきたジャズの音楽的知恵と技術は膨大である。
そして、もっぱら現場において伝承されてきたそれらの成果は、八〇年代の半ばから徐々に体系的に整理され、分析され、教育を受けることによって音楽を志す誰もが身につけることの出来るコモン・センスとして、現在、ポピュラー音楽家を支えるひとつの糧となっている。21世紀の現在、ぼくたちの前には、さまざまなものを耕す事ができる音楽的沃土がすでに十分に広がっており、だからこそ、そこからあなたは何を掴み取ってくるのか? という問いに答えることが、音楽家としての最初の仕事となるだろう。
2014年は、おそらく、30歳前後のジャズ・ミュージシャン(ロバート・グラスパー、マーク・ジュリアナ、ティグラン・ハマシャン……などなど多士済々だ)たちが、ジャズ100年の武器庫のなかから自分に相応しいサウンドを取り出し、磨きをかけ、アップ・トゥ・デートなかたちでそれらを十分に響かせることに成功した年として、記録されることだろうと思う。
佐藤恭子の「Kyoko Satoh and her LITTLE Orchestra」名義によるこの二枚のアルバム「Momentary」/「Everlasting」は、このような新世代のジャズ・ミュージシャンたちの動きとシンクロしながら、自身の可能性を「作・編曲」に求めた意欲作である。
ソリストのアドリブ・スタイルの変遷を、ながらく歴史の縦軸に置いてきたジャズ・ミュージックにおいて、作・編曲、特に編曲という作業は正当に評価されることの少ない、いわば「その他」扱いされることが多かったジャンルだったと思う。「ジャズの本質」をプレイヤーの即興能力に置くならば、あらかじめ演奏することを決めておく「アレンジ」というものの価値は切り下げられざるを得ず、実際、モダン・ジャズの大隆盛時代だった五〇年代後半から六〇年代後半にかけて、ジャズは他のポピュラー・ミュージックと差異を強調するために、たとえば、スコアにまったくたよらない表現の拡張を推し進めることに熱中した。急進的な時代にあって、それはひとつのはっきりとした価値であった。しかし、当たり前の話では!
るが、なんの楽譜も使わない演奏という選択も、それ自体でひとつのアレンジである。
どんな編成で、誰と何を、誰に向けて演奏するのか、ということを決めることから「編曲」という作業ははじまっており、また逆に、どれだけ細かい譜面の用意された曲であっても、ジャズにおいてはそこに必ず現場におけるプレイヤーの自由が写しこまれている。20世紀最大の編曲家のひとりであるギル・エヴァンスは、自身のアルバム『Into the Hot』を、セシル・テイラーとジョン・キャリシのサウンドでリリースした。この選択もまたアレンジのひとつだ。
ソロとアンサンブル、和声と旋律、エゴと協調、均整と破格の重さのあいだを自由に行き来しながら音楽を奏でることのできるビッグバンド・スタイルのジャズは、アメリカ音楽が生んだ最大の発明品だと思うが、佐藤恭子は11人編成の「リトル・オーケストラ」というスタイルでもって、このフィールドにあらたな収穫を付け加えようと試みている。
ブラス3、リード3、4リズムとコンダクター(兼サックス)という編成は、古くはコットン・クラブにはじめて登場した時のエリントン楽団とほぼ同じである。これはストックアレンジ用の、いわゆる「九ピース譜」をリアライズ出来る、もっとも小さなビッグバンド編成のオーケストラだと言えよう。しかし、彼女のアレンジは、楽器を束として鳴らすに当たっての指向が、クラブやボールルームで客をストンプさせてきた楽団とは基本的な部分で大きく異なっている。
具体的に言うならば、フレッチャー・ヘンダーソンからベニーグッドマン楽団に繋がり、その後の多くのビッグバンド・サウンドのアレンジの基本となっている「ブラスとリード・セクションの対立および合奏」という発想は、彼女のリトル・オーケストラのなかには殆ど見られない。例えば、ジミー・ランスフォード楽団の見事なソリの応酬によるグルーヴは唯一無比のものだが、佐藤恭子は、分厚く塗られた油絵具による重たい手触りよりは、ひと刷毛音が重ねられるごとにその色合いが微妙に変化してゆく、ほとんど水彩画的なありかたでもってこのオーケストラのサウンドを構築しているように思う。簡単に言うと、このバンドにはリードとサブ、第一と第二奏者の区分が存在せず、セクションという発想自体がほぼ見られ!
い。各プレイヤーがそれぞれ(リズム隊も含め)取替のきかない独自の色彩と質感を持った絵筆として、彼女のパレットに集められているのである。
彼女は好きな作曲家にアーロン・コープランドとストラヴィンスキーの名前を上げているが、たとえば「兵士の物語」における、ひとつの楽器をそのままオケの一パートとして響かせる手法は、リズム・セクションのそれぞれも含め、一つの色彩・一つの独立したラインとして紡いでゆくこのオーケストラのあり方と共通するところがあるだろう。以下、楽曲に沿いながら、二枚のアルバムの音楽的内容を確認してゆくことにしたい。


【佐藤恭子 セルフライナー】

1. Red Ladders and the Blue Planet
どことなくレトロな感じが漂うのは、昭和4年うまれのビンテージヤマハピアノをお借りして書いた曲だからかも?旋律に関しては、武満徹氏の、全員に異なる旋律を与えて演奏したら…という発想、ハーモニーに関しては、その頃興味を持っていた、バルトーク氏による黄金分割法や中心軸システムがインスピレーションになっています。醜い響きのもつ美しさや力強さを深く表現したいと思いました。

2. Magic Scope
maj7(b9)という、その幻想的で強烈な響きとユニークな復調性(ストラビンスキー氏のペトルーシュカ調のような)に魅せられて、その時に受けた衝撃的な感覚を、ファンタジックに、ある種のポップな感じを残しつつ柔らかく再現してみたい、と、書いた曲。なかなか演奏が難しくて、ライブ活動で何度も試行錯誤しました。

3. Toy Box Blues
子供達が眠る頃におもちゃが箱を飛び出して…、という、「おもちゃのチャチャチャ」の歌詞のコミカルな感じを思い浮かべつつ、どこかクラシカルで上品な雰囲気を持ち合わせたブルースに仕立てました。最初、曲の完成系のイメージがわかず、メロディ部分だけ書いたあと数年放置していたのですが、土井徳浩さんのクラリネットソロにインスパイアされて、完成。このレコーディングでは、彼曰く「僕の精一杯の社会性を見せたソロ」とのこと!

4. …And I Listen to the Ocean Blue
ある春の日に、家族で、瀬戸内海から淡路島をロングドライブして、阪神大震災の記憶をたどったことがありました。1.17がまるで昨日のことのように思い出されて、言葉を失ってしまったのだけれど、その日淡路島から眺めた瀬戸内の海は、あいもかわらず穏やかで美しく、そして、この上なく愛おしく感じ、そんな瀬戸内の海のにおいや肌触りや、過去の記憶やそのときの想いを、聴覚の記憶に残したく、と、書いた曲。

5. Just Friends
ジャズスタンダードナンバーのアレンジ。後半に「コルトレーン?チェンジ」という、ジャズ?サックスのレジェンド、ジョン?コルトレーン氏独特の3tonic systemを引用してみました。元々、ボーカリストをフィーチャーする為に書いたのですが、今回はインストヴァージョンでの録音です。タイトルも歌詞も、切ないので、逆にからっと乾いた感じのコンテンポラリーな編曲も面白いかも?

6. A Rabbit on the Moon
メロディは実は5拍子と6拍子が混ざっているのだけれど、不自然さを感じさせない強さを兼ね備えた旋律であるため、オーケストレーションはその良さが最大限伝わるように、と、思いました。十五夜に月でウサギが餅つきしている情景を、そして、そんな風流で心地よい秋の夜長を、まぶたの裏に浮かべながら聴いてほしい。